大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和57年(行ツ)43号 判決 1982年10月08日

上告人 福田正一

上告人 森川昭雄

上告人 奥田栄

右三名訴訟代理人 伊藤公

被上告人 三重県選挙管理委員会

右代表者委員長 岡田利一

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人伊藤公の上告理由について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、久居市選挙管理委員会が所論のポスターを掲示した行為は本件選挙の自由公正を阻害するものでなく公職選挙法二〇五条一項にいう選挙の規定違反にはあたらないとした原審の判断は、正当であつて、是認することができる。論旨は、独自の見解に立つて原判決を論難するものであつて、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧 圭次 裁判官 木下忠良 裁判官 鹽野宜慶 裁判官 大橋 進)

上告代理人伊藤公の上告理由

第一本件事案の特徴と問題点

一、特徴

(1) 先づ本件は、わが国の戦後の選挙違反に関する事例や判例を精査しても本件事案がそのまゝあてはまるものは一つもないという点で極めて特異である。

参考となる判例をあげるとすれば昭和三四年四月三〇日福岡高裁宮崎支部判決が唯一指摘されると考える(後出)。

(2) 本件はまた現実に行われた数限りないわが国の選挙において未だかつて実現されたことのない事例である点においても特徴的である。

(3) これらの点において本件の上告審の法的判断はわが国の選挙制度上においても貴重なものとなろうし、是非とも充分な審理をつくしてほしい。

二、問題点

本件事案の法律上の問題点を抽象的、一般的なかたちで集約すると次のとおりである、つまりある選挙において、

(1) ある特定の候補者が、その選挙運動用ポスターに、候補者の写真や、投票を呼びかける文言のほかに、その背景として又はその枠組みとして、これを見る選挙人の視覚に印象的な図形や模様や風景、例えば富士山や伊勢神宮や、バラや、日の丸、気球でもよいし、単なる地色、つまりシンボルカラー的なオレンジや緑色といつた色彩でもよい(なおこれらのものに好ましい意味がくみ取れるものであれば、なおよいだろう)を色彩印刷してこれを貼付した。

(2) この際にその選挙を管理する選管が右のポスターが貼付されていること、或は貼付されていることを知りながら右の特定の候補者が印刷した図形や風景や模様シンボルカラーと同じ(酷似した場合も含む)ものを印刷したポスターを同地域に多数貼付すること若くは数日にわたり貼付したことが選挙法上許されるか、公正を害したことにはならないと謂えるか、

ということである。

第二原判決は昭和三四年四月三〇日福岡高裁宮崎支部判決の判示の趣旨に牴触する。

(一) 同判決は「選挙管理委員会がなした選挙に関する啓発のための広報の文言内容が、たまたま特定候補者のスローガンとその趣旨において相通ずるものがあつたとしても選挙管理執行手続規定に違反するとは言えない」とするものである。

しかしながらこの判決の対象となつた事案では、

(1) 広報の文言自体が選挙に関する啓発のために妥当であり、抽象的であり一般的に要望される文言であつたこと、

(2) 従つてこの広報によつてその選管とその特定の候補者とは格別の関係はないと判断されること、

(3) 広報のその文言がたまたま一致したにすぎない、

ということが右の判決の基本的な認識であり、その結果右判示の法的判断となつたものである。

(二) しかるに本件においては、

(1) 市選管のポスターは文言としては「久居市長選挙」が「二月一七日」であるということを「市選管」が知らせるだけのもので、他に選挙の啓発等を目的とした文言は一切書かれていない、久居市民はとつくに選挙期日は知つており、また告示後は選挙戦のため誰でも知る筈である。

従つて、このポスターの市章印刷は選挙の啓発、周知につき一般的に必要とされたり、有意義なこととされるものではない。

(2) 原判決は「選挙人である久居市民が(一)及び(二)のポスターを見た場合に、(一)のポスターから連想するのは久居市であり、また(二)のポスターの本件図形から連想するのもやはり久居市であつて」と判示している。

この判示によつても二つのポスターを見た市民は共通の連想をもつことが認められる。

ところで連想を共通にするということは当然二つのポスターを関連して受けとめるということである。

つまり(一)のポスターを見たときにも(二)のポスターを連想し、(二)のポスターを見たときに(一)のポスターを連想し、(一)と(二)のポスターを同時に同じ場所で見たときと同じような関連をもつということである。

つまり(一)のポスターは(二)のポスターの印象を二月七日から一四日まで各所でいつも市民に与え続けたということである。

またポスターの関連意識はその作成者としての市選管と野垣内候補とを関連させることは当然のことである。

(3) 選管ポスターはたまたま貼付されたものではない。

原判決は「市選管が(一)のポスターを掲示した時点においては、野垣内候補の(二)のポスターが掲示された事実を知つていたことは、前認定のところから明らかである」と判示している。

してみると、市選管は野垣内候補が市章類似の(市章そのもの)図形を使用していることを知りながら敢て(一)のポスターを貼付したということであつて絶対に右判決がいう「たまたま」同じ図形(市章)のポスターを貼付したものではない。

(三) 右に述べた事実関係においては頭書の判例が違法なしと判断した基礎的な事実は全く失われることとなるのであるから同判例の趣旨にそう限り本件に於ては違法ありという結論に到達せざるを得ないこととなることは明らかである。

第三原判決は判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

一、問題となる原判決の判示部分原判決は「理由」の第五項において、「(以上の事実関係から考えると)選挙人である久居市民が(一)及び(二)のポスターを見た場合に、

(一)のポスターから連想するのは久居市であり、

また(二)のポスターの本件図形から連想するのもやはり久居市であつて、(以上の判示を便宜上第一の判示という)

(一)のポスターから直ちに野垣内候補を連想することは通例ありえないとするのが相当である。(以上の判示を第二の判示という)

また、偏見を持たない選挙人が(一)及び(二)のポスター自体から市選管が野垣内候補を推しているとか、野垣内候補と市選管とが関係あるかのような印象を受けることも、ほとんどありえないものというべきである」。(以上の判示を第三の判示という)

と判示した。

二、右の判示にあらわれた事実判断に際して適用された智識法則は経験法則上、心理学説上甚しく常識に反し、論理のつじつまが合わないものである。

(一) 前項第一の判示は正しい、上告人らの主張も当初からこの判断を前提としているものである。

つまりこの部分の判示は(一)と(二)のポスターを別々に見た久居市民の第一段階の印象と連想を判断したものとして正しいというのである。

この場合に最も基本的で大切なことはこの市民は別々に見た二つのポスターから同じ連想をもつたということである。

(二)のポスターを見ていない段階で(一)のポスターだけを見た市民が直ちには勿論のことその限りでは長い間に亘つて野垣内候補を連想することはあり得ないと判断することについては異論はない。

また右第二の判示もこの場合をさしているものではないと考える。

(二) 上告人らが問題としているのは(一)のポスター約九〇〇枚、(二)のポスター一、二〇〇枚は久居市内の人目につきやすい個所に相接して、又は少し離れて、或いは別々に二月七日から一四日までの間継続して貼付されていたという争いのない事実を前提として(一)と(二)の両ポスターを見なれた一般市民の心理連想、その影響や反応を問題としているものである。

従つて、この関係から生じる問題点を、「(一)のポスターから直ちに野垣内候補を連想することが通例あり得ない」のか、どうかという問題と、その解決、判断にすりかえることは明らかに論理の飛躍であり、論理的に欠陥がある。

右の第一段階を経た上での市民、つまりどちらか一方のポスターを見た上で他方のポスターを見た市民、それが一度ではなく二度、三度と数多く反覆してこれらを見た市民の連想や、心理的な影響がどのように発展するのか、それが上告人らの主張するような関連性をもつに至る可能性が合理的にあるのかどうかということこそが真の問題点である。

(三) そこでこの点について論理的、合理的な経験則に従つて考察すると、次のとおりである。

(1) この場合

(a) (二)のポスターについて先づ大切なことは、野垣内候補の市長在職のまゝでの立候補であつたこと、市長は市を代表するものというイメージをもつていることが前提となつて同候補は「それまで久居市の長として果してきた業績を強調するためその図案を市章にとり入れた」(原判決判示)ものであり、ポスターの性格上その図案としての市章は、最も重要な役割をもち、同候補について市民の視覚上のイメージアップを強烈に印象づけることを目的としたものであつた。

(b) これに対して(一)のポスターはさきに述べたとおり、文言としては単に選挙期日を告知するのみで格別の意味を有さなくて市長だけが大きく印刷されたものであつた。

(c) また久居市章は町制時代から継続して使用され同市民に親しまれてきた。

ということが基礎的事実である。

(2) してみれば(一)と(二)のポスターにつき、久居市という共通の連想をなす多くの一般的市民は(一)のポスターを見る度に(二)のポスターにも市章が印刷されていたことを、(二)のポスターを見ては(一)のポスターの市章を連想したり、思い出したりすることはごく自然のことで、当然のことであるといわなければならない。

つまり、二つのポスターから受ける共通の連想は二つのポスターそのものを関連づけると共に二つのポスターの作成者をも関連させることも当然のなりゆきとも言える。

してみれば「(一)のポスターから野垣内候補を連想することは(直ちにかどうかを問わず)通例ありえないとするのが相当である」とする原判決の右第二の判示は極めて不自然であり論理的に完全に破綻したものというべきである。

なおこの点に関する上告人らの原審での心理学的な主張と証人杉野健二の証言こそ経験則に合致して正しい。

(3) まして右第三の判示は明らかに論理的につじつまがあわない、独断と偏見であることは詳言するまでもない。

野垣内候補は(二)のポスターを使用して現実に厳しい集票活動を展開している際に(一)のポスターが同時期継続して多数貼付されていたという事態は(一)のポスターの与えるイメージを通じて(二)のポスターの与えるイメージの増巾に加功していたと判断することこそが常識的であり合理的である。

つまり(一)のポスターに表示された市選管がその名において野垣内候補の目指すイメージアップに奉仕していたものである。

この判断は県選管の本件審査の裁決書において

「本件のように特定候補者の選挙運動に使用している図形、記号等と類似しているものを使用することは……これを避けるべきであり、公正な選挙の管理執行を使命とする選挙管理委員会としては常に心得ていなければならないことである」

と判示している。

この判示は二月一三日頃、県選管が市選管ポスターの市章印刷部分につき、貼りかえを指揮指導したことがあるという事実に基いたものである。

しかるに原審はこのような判断すらも理解せず、極めて論理性を欠いた偏見と独断に終始したものというべきである。

三、原判決は公職選挙法第一四四条第一項第二号の規定の趣旨を理解せず、同法第二〇五条第一項の「選挙の規定に違反することがあるとき」に該当する「公正な選挙を阻害する」行為についての法令の適用を誤つたものである。

(一) 同法第一四四条第一項第二号は選挙運動用のポスターにつき、市長の選挙の候補者一人について一千二百枚と限定しており、この趣旨はポスターによる選挙運動につき、公正を図ることを目的とするものである。

しかるに市選管は本件選挙において野垣内候補が(二)のポスターで、専らイメージアップを目的として印刷した市章と同じ市章を印刷した(一)のポスター約九〇〇枚を市内各所に掲示貼付したことは外形的に野垣内候補は右のポスターの制限を越えて同ポスターの目的を達成させる情宜活動を展開したということとなつた。

この状態の現出は右同法条の趣旨に反して違法である。

選管はいやしくも自らの行為が選挙の公正に関して、仮りに少しでも疑問や問題があり得ると考えられる場合には細心の注意を払うべき責任がある。

そしてこの違法状態の現出は市選管が公正な選挙を阻害する行為についての趣旨を理解していなかつたことに起因するものである。

つまり市選管はいやしくも野垣内候補がポスターに使用した市章と同じ市章を印刷したポスターは絶対に貼付してはならなかつたということであり、故意又は重大な過失によつて本件の行為に出たもので違法行為であることは明らかである。

しかるに原審が市選管の行為になんらの違法性なしと判断したことは頭書の法令の解釈適用を誤つたことによるものである。

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